[ 総括 ] 平成31年第2回沖縄県議会2月定例会を終えて / 1普天間飛行場の危険性の除去・早期返還問題
普天間飛行場の危険性の除去・早期返還問題について
この問題で、翁長県政4年間、そして玉城県政も普天間飛行場代替施設の辺野古移設阻止を県政運営の最大課題とし、国と対立し裁判闘争を繰り返しています。
また、翁長知事も玉城知事も辺野古移設を「新基地の建設」と言って、反対の理由としております。
しかしその一方的で、翁長知事も玉城知事も、辺野古移設阻止が「普天間飛行場の返還」にどうつながるのかについて、説明していません。また、辺野古移設は本当に「新基地建設」であるかについても、一方的で偏った理由づけをしております。
○まず、辺野古移設が出てきた背景について説明します。
平成8年(1996)4月12日、当時の橋本総理とモンデール駐日米大使が、普天間飛行場の全面返還の合意し、9月8日、SACO最終報告で十分な代替施設が運用可能となった後、5年から7年以内に全面返還することで合意しております。
その後、沖縄県や地元との調整、民主党政権の誕生など、紆余曲折があり、条件付き返還に合意してから23年が経過した現在に至っても返還は実現していません。
その理由は、返還の条件である代替施設が完成していないからです。
平成25年12月27日、当時の仲井眞知事は、沖縄防衛局が申請した「普天間飛行場代替施設の移設先である名護市辺野古沿岸部の埋め立て申請」について、現段階で取り得ると考えられる環境保全措置などが講じられているとして、正式に「埋め立て承認」を発表しました。
これを受けて、これまで停滞していた移設作業が始まり、5年以内の普天間飛行場の運用停止に間に合うよう、国は移設工事を加速させておりました。
しかし、平成26年11月16日、新知事に当選した翁長雄志知事は、辺野古移設を阻止するとして、様々な手段で国の作業を遅らせ、平成27年10月13日、埋め立て承認を正式に取り消しました。
それ以降は、裁判や話し合いなどが続けられ、その間、国が工事を進めようにも県は、知事権限と称してあらゆる手法を使って妨害し、作業や工事を遅らせて来ており、平成30年8月31日、県は、埋立て承認を「撤回」しました。
しかもその撤回をしたのは、知事ではなく職務代理者副知事の委任を受けた副知事が行っており、まさに異常であります。
このため、日米が合意した2022年度までに普天間飛行場を返還するとの目標は事実上遠のき、また、国と県との約束である「5年以内の普天間飛行場の運用停止」も実現する見通しはなくなりました。
それでも、玉城知事は、翁長知事の遺志を引き継ぐとし、辺野古移設工事を遅らせることを明確に表明しています。
沖縄・自民党が翁長知事や玉城知事の辺野古移設工事阻止の姿勢を問題視したのは、翁長知事や玉城知事が辺野古移設工事阻止を言いながら、「普天間飛行場の危険性の除去・早期返還」について、全く触れていないことにあります。
そもそも普天間飛行場を返還するには県内移設が条件になっていたのであり、辺野古への代替施設が完成しなければ返還されません。
沖縄・自民党も民主党が政権の地位にあった際、県外移設を求めてきた経緯がありますが、肝心な民主党政権が県外から県内移設に回帰したことは、辺野古移設なしには普天間飛行場の返還は実現しないことが明白となったのであります。
これを受けて、沖縄・自民党も辺野古移設を容認しました。誰しも辺野古の海を一部とはいえ埋め立てることに賛成はしません。
しかし、世界一危険と言われる普天間飛行場の全面返還を実現するには、今のところ、日米が合意した辺野古移設を容認する以外に方策は見つかりません。
苦渋の選択をした理由であります。
それに反し、翁長・玉城オール沖縄県政は、辺野古設を阻止するとして国と対立しています。
辺野古移設を阻止することで普天間飛行場が返還されるなら、復帰後47年間何故、普天間飛行場が返還されなかったのか、翁長知事や玉城知事、オール沖縄側も何の説明もしていません。
このままの状況が続けば、普天間飛行場の返還は実現せず、現状のまま固定化されることは明らかです。
何としてもあの危険な普天間飛行場は返還されなければなりません。
○次に、辺野古移設は「新基地建設」ではなく「整理縮小」であることついて説明します。
翁長知事や玉城知事、そしてオール沖縄側は、辺野古移設は「新基地建設」であるとして絶対につくらせない、あらゆる手法を使って阻止するとしています。
また、県内マスコミも新基地建設として報じています。
そのため、県民の中には、県内に新たに米軍基地がつくられるかのように誤解が見られます。
辺野古への移設は普天間飛行場を返還するための代替施設を建設するものであり、まさに基地の整理縮小であります。
就任当初翁長知事は、美しい海を埋めるのは反対と言っていましたが、その後、辺野古への代替施設は、「強襲揚陸艦の運用が前提で軍港の建設」であるとして、反対・阻止する理由としています。
しかし、防衛省は、護岸(係船機能付)は、故障した航空機の輸送船で搬出するためのものとしています。
また、「強襲揚陸艦の運用が前提で軍港の建設」されることを理由にすることは、翁長知事や玉城知事にとって無理があります。
何故なら、翁長知事も玉城知事も那覇軍港の浦添移設には賛成しており、那覇港湾区域内の移設であるからとして移設先の浦添港湾内の埋め立てを認めています。また、那覇軍港が移設される浦添港湾内には、那覇軍港では接岸できない「強襲揚陸艦」の接岸できる機能が強化されるようでああり、そのことを玉城知事も承知し反対していないことです。
このように、辺野古移設に反対するために、無理な理由をあげているだけです。
更に困るのは、辺野古移設がとん挫すれば、嘉手納以南の大規模基地の返還が出来なることです。
普天間飛行場が辺野古へ移設が完了すれば、普天間飛行場を含む嘉手納以南の大規模米軍基地の返還が約束されています。
返還が約束された基地(施設)は、「普天間飛行場の全面返還」を始め、「牧港補給地区(キンザ―)」、「キャンプ桑江(レスター)」、「那覇港湾施設」、陸軍貯油施設第1桑江タンク・ファーム」の5基地(施設)の全面返還と「キャンプ瑞慶覧(フォスター)」の部分返還であります。
そして、約8,000人の海兵隊員とその家族約9,000人も削減されます。
仮に、辺野古移設がとん挫すれば、嘉手納以南の基地の大規模返還も実現しません。
政治的思惑で、あらゆる手法・手段を使って辺野古移設を阻止することは、沖縄の米軍基地の整理縮小を求める意味から、何のメリットもありません。 このため、沖縄・自民党は、世界一危険な普天間飛行場の危険性の除去・早期返還および嘉手納以南の大規模基地の返還を実現するため、これからも玉城オール沖縄知事の政治姿勢を追求していきます。
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